*よく使う用語はハイライトになっています
アールティとは、グルやパドゥーカ、聖者の椅子などにささげられるヒンドゥーの儀式。また、そこで捧げられる詠唱、祈りの詩、などの全体を指す。Aarti アールティはサンスクリット語で「完全なる愛」を意味する。アールティを行う時に、ギーランプの炎を揺らす動きをするが、これはグルの存在を祝うもので、マスターという聖なる炎が燃え立たせてくれる、自分自身の内なる炎を象徴する。
過去、現在に起きたすべて、また未来に起こるすべての出来事、行動、想念、感情の記録を保持するエネルギー的な情報の集積。アカーシとも呼ばれる。
直訳すると「不死」だが、不死を授けてくれる神々のネクター(蜜)のことも指す。(サンスクリット語)
至福または歓喜。超越存在の本質である喜び。サンスクリット語。
ハイヤーセルフと人間の肉体との間を結ぶエネルギー的な架け橋または筒。高次元の光を肉体やサトルボディ(精妙な体)へと注ぎ込むことを可能にしてくれる。
かつては人間であり、意識と肉体のアセンションを通じてスピリチュアルなマスタリー(統制・熟達)を果たし、昇天した存在。現在、より高い光の次元から人類のスピリチュアルな成長のために尽くし、導いている存在。
神、融合したスピリットを思い出すこと。肉体の波動を上げて、光になることにより肉体の死を超越させる。
真我、高次元の自己、至高なる自己。その本質はサット・チット・アナンダ(真の存在・意識・至福)である。
バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ。人びとは親しみを込めて「ババ」と呼ぶ。インドで今なお最も崇められているスピリチュアルなマスターの一人。多くの人は神の生まれ変わり、アヴァターだと信じている。ハー・ホーリネス・サイマーのグルの一人であり、スピリチュアルな教師でもある。
献心あるいは信愛と訳される、喜びとともに尽くす状態のこと。神との融合・統合へと導く、スピリチュアルな修練の実践や献心の状態のことも指す(例:スピリチュアルな師やグルへの献心)。
ビンドゥ(クラウンチャクラの中心)にある精妙なエネルギー構造。肉体における「至高の自己」の住処と考えられている。瞑想中の内観によって見られることが大半。
物理的な次元や肉体にまつわる意識と波動。神の意識である聖なるもの、高次元の自己(ハイヤーセルフ)、創造の根源あるいは絶対的存在から来る意識や波動とは対照をなす。
サトル・ボディのスピリチュアルなエネルギーの渦(中心)。人間には脊椎の基底部から頭頂にかけて7つの主要なチャクラがある。頭頂部にあるクラウン・チャクラだけは、根源のエネルギーそのものをずっと保ち続けている、三次元の影響を受けていないチャクラとされる。
バジャンとも呼ばれる。神に捧げる聖なる言葉やマントラ。声を出して復習するが通常は音楽に合わせて唱えられる。
キリスト意識。ブッダ意識と同一。意図、光と意識ある目覚めによる低次元の自己から高次元の自己(ハイヤーセルフ)への変容。遺伝子コードが再プログラムされ、不死のテーマが取り入れられる。人が神聖な愛との融合に目覚める意識状態。
キリスト意識の中で働く存在であり、生きたキリストとして交流する。キリストとしての存在(セルフ)。高次元の自己。
サンスクリット語ではチット。存在。真我への目覚め。全ての生きものの基本的な構成要素。
天恵と最高次の知識の根源であるグル(導師)に、敬意の現れとして捧げられるお布施で、金銭という形態をとることもある。(サンスクリット語)
「見る」「眼差し」を意味するサンスクリット語。聖者や神聖な像などの前に立った時に、その聖なる眼差しによって祝福を受け取ったり、自分自身の神聖さを感じたりする体験。インドでは寺院などで一般的に行われている。
神に仕える肉体を持たない輝く光の存在。
正しい行いや自分ならではの責務、あるいは魂の進化から道を踏み外すことなく展開してゆく運命のことを指す。宇宙と社会的秩序の自然な法則。公正な法。天命と訳されることもある。
「イニシエーション(エネルギーの伝達の儀式)」を意味するサンスクリット語で、師からの神聖なエネルギー伝達を指す。サイマー・ディクシャは、サイマーが人類への贈り物として公開した、脳に光を与える強力なパワフルなハンズオン・テクニック。高い周波数の光とそのエネルギーを脳の中へと物理的に伝達することで、人間が悟りへと向かうプロセスを開始する。
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すべての創造物の本質である、内なる神聖な母のエネルギーと特質。私たち全員が自分の中に持ち、愛、思いやり、叡智、許しといった資質を通して表現する普遍的なエネルギー。
私たち全員が自分の中に持っている普遍的なエネルギーであり、純粋な意識、存在感、明晰さ、意志といった資質を通して表現される。
I AM Presence
あらゆる存在の根源である「わたしはありてあるもの」の原理または「わたしはありてあるもの」としての存在。至嵩なる自己、個別化した神の存在。パラマートマン。神そのもの。
宇宙や存在の本質が、善と悪、心と物質などの2つの現実から成り立っていると考える考え方。根源の世界とその本質が「すべてはひとつ」であることと、対極を成す。「二元性」「二重性」と訳される。
スピリチュアルな解放または自己実現。サンスクリット語の「モクシャ」。自分が「私はありてあるもの」としての存在、あるいは「アイアム存在」であることに、意識的かつ永遠に目覚めている状態。常に愛と平和と思いやりの中で、高次元の自分(ハイヤーセルフ)を自身の真の本質として体験し続けている意識状態のこと。
大いなる平和、純粋さ、真実、繁栄の時代。(サンスクリット語ではサティア・ユガ)
天恵。人間のスピリチュアルな営みが実ることを可能とする神聖な贈り物。
一点の曇りもない大宇宙全体の概念と、神性な青写真を保っている、宇宙の存在。
「闇(グ)」から「光(ル)」へと導く存在で、導師と訳されることもある。自身を他者の変容と進化のために全てを捧げているスピリチュアル・マスター。
高次元の自己。あらゆる存在の根源である「わたしはありてあるもの」の存在からサトルボディや肉体へ送られる無限に強力なエネルギーを調整する変圧器のような存在。神聖な愛とユニティ(ひとつであること)の状態にあり、あらゆる人間が生得の権利として物理的な世界で物事を具現していく際に、完璧なビジョンを保たせてくれる。
あらゆる存在の根源である「わたしはありてあるもの」の原理または「わたしはありてあるもの」としての存在。至高なる自己、個別化した神の存在。パラマートマン。神そのもの。
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生徒がスピリチュアルな教師やグルによってスピリチュアルな修行について教えを受けるための儀式。師から弟子へのエネルギー伝達のこともこう称する。
最高位の精神的指導者に与えられる称号。「宇宙全体のグル」という意味のサンスクリット語。
「敬意を」「栄光を」という呼びかけの言葉。神性の一面を賛美するマントラ、フレーズ、チャントで使われる。(サンスクリット語 )
聖なる名前やマントラの復唱。ジャパはそれを唱える信者のマインドを神と融合させる目的を持つ。特にサンスクリット語のマントラで音と形が一つになったものを使うときがそうである。マーラー(インド式の数珠)を使用する事が多い。
「行為」そのものを意味する。「原因と結果」という普遍的な原理に関連する。人が現在と過去の人生で行ってきた行動のエネルギー的な蓄積のことであり、その人の人生に引き寄せられる体験や状況に直接的に影響する。
複数の歌手が伝説を朗読したり説明したり、神への愛に満ちた献身を表現したり、スピリチュアルな考えを話し合ったりする、音楽に合わせたコール・アンド・レスポンス形式の歌やチャント。
全ての人間の脊椎の基底部にあり、大半の場合は眠った状態にある、パワフルで神聖なエネルギー。螺旋状に巻きつく蛇の姿に象徴される、その目覚めとチャクラを通って上昇していく動きが、浄化と内なる至福をもたらすエネルギー。(サンスクリット語)
人間にとっての経絡にも似た、地球のエネルギー的な通り道またはチャンネル(経路)。
人間という存在の肉体的、感情的、精神的、スピリチュアルなレベルを統合する、光や微妙なエネルギーのグリッド。
「母」または「神の母」、愛着と尊敬の意味を込めて使われる。
神聖なるものの偉大な愛と、その神聖さへの献心。
108のビーズをつないだもの。ジャパで使われる。
神聖な寺院(サンスクリット語)
ある特定の方法で使われる、神聖な単語やフレーズで、瞑想の間、マインドを集中させるために繰り返し唱えられることもある。もっと詳しく
全てはひとつであるという真の現実に、覆いをかけてしまう無知または幻想で、これにより二元性がつくられる。
マインドを集中させて私たちの神聖な本質への認識を発達させる、スピリチュアルな修練の方法のひとつ。マントラや黙想、意識的な呼吸、イメージの視覚化など、瞑想法には様々な種類がある。
解脱。スピリチュアルな解放。
母なるクンダリーニ・シャクティ。
聖なる母。神の女性的な側面。宇宙的な母。シャクティ。デヴィ、ラリータ、そしてヒンズー教ではラジャラ•ジェッシュワリとして知られ、ユダヤ教では、聖なるシャキーナ/シャヒーナとして知られている。
インドやネパールで交わされる「おはよう」「こんにちは」「こんばんわ」「さようなら」といったあいさつ。「あなたの中の神性を称えます」という意味の挨拶。祈りのように、手のひらを胸の前で合わせた合掌のポーズとともに口にされることが多々ある。(サンスクリット語)
古代ヴェーダでのヴィシュヌ神の名前。
宇宙が誕生したときの原初の音であり、創造の全体性をその中に持っている。この神聖なマントラは、私たちのエネルギーを創造の神聖な衝動にまっすぐにつなげて統合させるための実践方法として、しばしば唱えられる。
「聖なる母への敬意を」または「あなたの中の、私の中の、神聖な女性性に敬意を捧げます」という意味のマントラであり、挨拶の言葉。
「私は自分の中の神聖な存在に敬意を捧げます」または「私はシヴァ(純粋空間の真の本質)を称えます」という意味のマントラであり、挨拶の言葉。
無制限の力を表す、神の1つの側面。
同時にどこにでも存在していることを表す、神の1つの側面。
至高なる自己、至高なる魂、絶対存在。最高位の精神的指導者
一つの人生から次の人生へと転生していく時に、具現化されて引き継がれる内面の神聖な光の輝きの、中心点。通常、ハート・チャクラか脳の中の松果体の中にあるとされる。
息。生命力。
大いなる存在。あなたの実在の中にある聖なるものの存在。
ヴェーダの学識ある僧侶、学者、教師。
絵画や神像、神聖なオブジェや生きた孫菜が象徴する神聖さを敬い称えるための礼拝や儀式。
聖なる炎。脊柱の基底部のチャクラに巻きついているヘビに象徴されるクンダリーニの火。
目覚めると脊椎の基底部から純粋空間である登頂へと上昇する。この火は人間ひとりひとりの中に宿っている、完全性や完璧さを具現化する力を持った、生命を司るパワーでもある。エネルギーの浄化を可能にしてくれる紫の燃焼の炎も、この火のひとつの面。
スピリチュアルな修行や規律。サダナの到達点とは、スピリチュアルな意味での自己実現。
スピリチュアルな求道者、スピリチュアルな修行の実践者。修行の道の途上または道を歩く人。
全ての所有物を捨てたインドの修行僧や規律。サダナの到達点とは、スピリチュアルな意味での自己実現。ヴェーダの伝統に基づいて、スピリチュアルな自己実現を求めて我欲を離れる者。遊行者(ゆぎょうしゃ)と訳されこともある。
バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ。人びとは親しみを込めて「ババ」と呼ぶ。インドの最も崇められているスピリチュアルな教師の一人。多くの人は神の生まれ変わり、アヴァターだと信じている。ハー・ホーリネス・サイマーのグルの一人であり、スピリチュアルな教師でもある。
神経系に残っている過去の想念、感情、行動の精妙な印象や刷り込み。多くは中脳に貯蔵されている。
存在(サット)、意識(チット)、至福(アナンダ)を意味する。神の意識で体験できる、荘厳な至福の状態のこと。
直訳すると、スピリチュアルな求道者たちの集まり。「真理の仲間たち」や賢者と集うこと。教師、グルや他のスピリチュアルな求道者たちと関わりあうことも指す。
真我。アットマン、普遍的なスピリット、意識、本質的存在。全ての中の一つなる存在。真我はある存在(名詞)ではなく、存在する(動詞)ということを指す。私たちが存在することの原型であり、本質的な性質のことでもある。
無償の奉仕のこと。見返りを期待せず、ただひたすら尽くすために、できることをして奉仕するということの実践。
すべての生命の中に宿っている、神聖な女性性の創造のパワー。時に聖母に象徴される、大宇宙の創造の力。マスターや光の存在によって放射される変容を伴うスピリチュアルなパワー。
すべての無知を破壊し、移ろいゆく諸相とその苦しみから、道を志す者、求道する者を解放する神聖な存在または意識。純粋な空間。
光の存在。ヨーガ(ワンネス)を通してスピリチュアルに完成された人。天恵(グレース)を失う可能性のない完成された魂。
神聖な呼吸。「わたしはありてあるもの」という意味を持つマントラ。内なる神性の宣言としても使われる。
魂。インドでは完全に純粋な至嵩なる自己。西洋では個人の生命における、肉体を超えたスピリチュアルな集合体とされる。
全創造物がやってきた、全てのものに広がっているワンネス。ありてあるもの。
敬意を表す称号。
肉体の周囲に存在している精妙なエネルギーの層(エーテル体、感情体、メンタル体、コーザル体、スピリチュアル体など)、それぞれの周波数帯は独自で独特の特徴を持ち、そうしたサトルボディをまとめてオーラと総称することもある。
ハイヤーセルフ(高次元の自己)の永遠の意識。死を超越した永遠、不滅、不死という私たちの本質に気づき、実現させてくれる。
インドの先覚者たちによって認められた古代の聖典で、ヴェーダの伝統の基礎を成すもの。宇宙の叡智や意識の本質などが記されている。(サンスクリット語)
もっと詳しく
神とのユニオン(ひとつであること、統合、溶融、融合)、またはワンネスの状態へと導く修練。
Get started today before this once in a lifetime opportunity expires.